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ポップコーンマシンの歴史「That’s a crackerjack!」

こんにちは!ポップコーンパパでインターンをしているりんりんです!

今回は、家庭でも調理することができるようになったポップコーンや、テーマパークやお祭りなどで使われているポップコーンマシンの歴史を紹介していきます。

 

 

ポップコーンは昔ポップコーンではなかった!?

「コーン」と聞くと「トウモロコシ」と結びつける人が多いと思いますが、実は「Corn」という単語は、もとは穀物全般を指す言葉として使われていました。「Corn」の本来の意味は、それぞれの文化で最も広く食べられる穀物を示しています。

 

当初の呼び名は「ポップしたコーン」を意味する「Popped corn」でしたが、この言葉が変化して現在の「Popcorn」という名前が生まれたと言われています。その後、アメリカでは急激にポップコーンが広まっていったとのことです。

 

 

ポップコーンマシンの歴史

19世紀初頭にアメリカ人はポップコーンを弾く方法を試しました。穀物を熱い灰に投げ込み、かき混ぜ、ふるいにかけた人がいたり、ラードやバターを詰めたやかんでポップコーンを作る人がいたり、様々な方法がありました。最も人気のある方法は、長い木製の取っ手付きのワイヤーボックスの中でポップコーンを直火で調理する方法でした。その後、アメリカでは急激にポップコーンが広まっていったとのことです。

 

1893年に開催されたシカゴ万国博覧会では、ポップコーンの歴史において重要な進化が起こりました。その1つは、チャールズ・クレトス氏が発明した世界初の移動式ポップコーン製造マシンです。それまでのポップコーンは固定の機械を使って製造されていましたが、クレトス氏はピーナッツ売りの台車を改造してスチームエンジンを取り付け、ポップコーンをどこでも作ることを可能にしました。

 

また、ドイツ移民のリュックハイム兄弟によってシカゴのフェデラル・ストリートでポップコーンカートでの販売から始まりました。糖蜜をかけたポップコーンとピーナッツをパッケージに入れた商品を開発しました。

 

さらに、改良を重ねて、サンプリングに訪れたセールスマンが出来の良さに思わず「That’s a crackerjack!(ザッツ ア クラックジャック)」(非常に素晴らしい)と叫び、これが製品名に採用されるきっかけになりました。これこそが「世界初のキャラメルコーン」と言われています。「クラッカージャック」は歌詞の一説に採用されたり、映画のワンシーンで使われたりしました。現在では、ペプシコ社の菓子ブランドであるフリトレー社に買い取られています。

 

 

ポップコーンが家庭に登場

第二次世界大戦が勃発し、砂糖の供給が制限された時代にもポップコーンの人気は広まり続けます。そんな時代に家庭用テレビが普及し始めました。この登場は、来場客が減少傾向にあった映画館に大打撃を与える出来事でした。来場者数は半分ほどになり、それにあわせてポップコーンの売り上げも減少するという事態に陥りました。

 

当時のポップコーンの最大の弱点は、「家庭で作るのが難しい」ということでした。アルミ製の鍋を火にかざして作るタイプのポップコーンが登場し、この苦境を挽回していきました。さらに、復活を確実にしたのは、電子レンジで作ることができるポップコーンでした。

 

電子レンジは実はレーダー開発の副産物として生まれたそうです。1945年にアメリカでレーダーの実験中に偶然にマイクロ波による急速な加熱現象が発見されたようです。これを調理用に応用して開発されたものが電子レンジです。電子レンジが普及したことが、本当の意味でポップコーンが家庭に普及することにつながりました。

 

 

【おまけ】電子レンジにポップコーンボタンが?

ポップコーンがアメリカで人気になった大きな要因として、移動式ポップコーン製造機の存在が挙げられます。移動式にしたことでどこでもポップコーンを楽しむことができるようになり、スポーツ会場やサーカス会場、お祭り会場など様々な場所で食べられるようになりました。

 

このようにアメリカ中でポップコーンが浸透し、多くの電子レンジにボタン一つで調理できる、ポップコーンボタンがつくまでになりました。

 

終わりに

すっかり家庭に浸透しているポップコーンにはこのような歴史があったそうです。なかなかポップコーンの歴史を知る機会ってないですよね。これを読んでおいしいポップコーンを食べたくなった方はぜひポップコーンパパへ!

 

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