51歳になって、やっと自分の理想がはっきりしてきた! 「無執着・無計画・無我・無心」
今年の6月で51歳になった自分。今までいろんなことを学んで、いろいろな経験をして、考えも価値観も若いころに比べて随分と変わったとつくづく思う。40歳くらいまでは、出来るだけ目に見える形で周りより秀でたかったし、そのためにたくさんの時間や労力をかけ、随分と背伸びもしていたように思う。その「秀でる」という基準は他人が作ったものばかりやった。いわゆる、世間の人々が「良い」と言ってくれる基準。それがほんまにええもんやと自分でも信じてたし、その評価を受けるために頑張ってたと思う。20代の頃はどれだけお金を持ってるか、どんな車に乗ってるか、どんな家に住んでるか、可愛い彼女がいてるか、などなど。30代になり、会社を経営するようになっても、売上とか利益とか、どんな立派な会社かとか、どんな立派な人と知り合いだとか、周りがどれくらい評価してくれる会社とか、なんか世間や他人が決めた無難と言うか、型にはまった評価をえらい氣にして仕事をして、そしてそういう生き方をしてきたように思う。
40代後半からやっと、自分が心から「大切やな~。」と思えるものをほんまに大切に人生を歩めるようになってきた感がある。20代・30代で大切にしてきたことは、もうあんまり氣にならなくなってきた。世間や他人のために着飾ったり、努力したり、時には背伸びしたりすることに疲れたんかな~。その辺はどうかわからへんけど、そんな評価よりも「素の自分」、「自分がこれ、ムチャクチャおもろいやん!」って心から感じられることがほんまに価値があることなんやなぁ~とやっと氣づいてきた。「過去も未来も別にそんなに氣にせんでええわ!」っていう自分もだんだん大きくなってきた。「今」を生きることの大切さを実感しまくってる。徐々にこの感覚になってきたんやけど、この感覚になってから、心がだいぶ楽になってきてる。何と言うか、全てとはいかないまでも、多くのもの、今までの考えや、こだわりや、執着や、怖れや、見栄や、プライドや、そんなものを手放した感じ。だから、ごっつい楽な感じがする。
だんだんとこんな感覚になったんやけど、ここ数年はかなりええ感じに変化したように思う。毎週のように三重県熊野に行って古民家を再生しながら田舎生活の中で人との繋がりの大切さを感じたり、武道や神道を習うことによって日本人が大切にしてきたことを学んだり、またコロナでの経験を通して自分の中で守るべきものが大きく変化したようにも思う。
今、自分が理想とするのは、「無執着・無計画・無我・無心」。人生を通してどんなことが理想かな~と、その時々でいろいろと考えたけど、何かしっくりきてたようで無理してたり、こうあるべきみたいなものがあった氣がする。でも、これはかなりしっくりくる感がある。何にもとらわれずに、常に自然体で「中今」を生きる。なかなか到達するのは難しそうやけど、いける感じもするんですよね~。少しずつ少しずつ、いろんなこだわりや我を手放して、ほんまの自分に近づいて行こうかと思ってます。ま、ポチポチやっていきます。