ポップコーンパパ ストーリー【エピソード4】玉造本社ビルでの奮闘
お店はUCW店と天保山店の2店舗、事務所が阿波座にある状態が数年続いた。
この頃は別会社を作って、もつ鍋屋やラーメン屋もやってたんで、ほんまにドタバタしてたね~。
その後、以前話に出たエスケイジャパンの久保社長のご好意で玉造のビルを譲り受けることに。
阿波座から事務所を引っ越した当時は1階がカフェ、2階は応接室、3階が袋詰め、4階で製造して、5階が事務所として、仕事をしてた。
事務所は5階で眺めはええし、気分は良かってんけど、効率が無茶苦茶悪かった!
4階で製造したものを3階までエレベーターで運んで、それをまた1階までエレベーターで運んでからの1階での梱包作業。
始める前は、何とかなるやろう!と思ってたんやけど、ほんまに大変やった。4階は、今でこそキッチンを狭い範囲に区切って、改装を繰り返したから使いやすくなったけど、当時はフロア全体がキッチンで、ポッパー(ポップコーンをはじく機械)4台、キャラメライザー(キャラメルのアメを作る機械)が2台、ポップコーンのシンクは6台もあってんね!!
玉造でUCW店や天保山店の商品も製造しようという考えがあって、これだけあったらガンガン商品作れるわ!って思ったんやけど、実際には全然思った通りにいかなくて・・・・・。
広すぎて、はじけたポップコーンがあっちゃこっちゃに飛んだり、キャラメライザーも2台動かしただけでも、シンクがそれぞれにあると、なかなかうまくいかず、とにかく掃除が大変やった。
そこらじゅうに散らかりまくったポップコーンを掃いたり、キャラメライザーを掃除したりで、片付けに4時間くらいは平気でかかってたんとちゃうかな?
また、そこで出来た商品をエレベーターで運ぶのが相当手間のかかることで・・・。
その手間が4階→3階→1階と2回もあるから大変。
商品の出荷は少ないのに、えらい人数のスタッフが必要で、結局これはあかん!となって、3ヶ月で再び改装。
1階のカフェスペースを狭くして、キッチンを作ることに。この改装も反対意見があって、大変やった・・・。
けど、このままやったら絶対にうまくいくことはない!と確信してたんで、すぐに着手。
1階にキッチンを移すと、何とかうまく仕事を回すことが出来るようになった。
その後、少しだけあったカフェスペースを無くして、出荷作業出来るスペースを広くして、現在の状態になって、ほんま出荷や仕事がしやすくなった。
それまでは、今の広さの半分くらいで出荷作業をやってたから、ほんまにようやってたな~と思う。
玉造に事務所を移った後に始めていったのが、環境整備。
今はだいぶ定着した環境整備やけど、最初は全然うまいこといかへんかったね~。
誰も協力してくれへんから、一人で進めてたのを憶えてる。
環境整備点検の前の日の晩にお店に行って、自分でワックスかけて、次の日にまた行って、「床、きれいやな~」って言うて、チェック表に○をつけてた。
半年くらいは一人でワックスしてたんちゃうかな?そんな時期を乗り越えて「今」がある。
ありがたいね~、ほんまに。