「手放す」と言うこと 求めず、守らず
最近、特に「手放す」と言うことの重要性というか、これって、ほんまに大切やなぁ〜というか、なんと言うか、手放したら手放すほど、ええ感じになるなぁ〜と実感しまくってます。
実際の行動ではなくて、意識的なことがほとんどかも知れんけど、以前に比べると、だいぶん手放してるように自分なりに感じる。「手放す」って感じでもあるし、「執着してない」って感じでもあるような氣がする。
以前はいろんなことに執着してた。お金、周りからの評価、損得感情、見栄、自分の中の常識、将来性など、数え上げればキリがないくらいたくさんのことに執着してた。
これこそが大事なんや、これこそが自分らしさなんやって、握りしめてた感じかな。でも、それってほぼ他人やそれまで誰かが決めた基準やったように思う。世間や多くの人が良しとする考えみたいな。
でも、いろんなことを学んだり、経験したり、たくさんの人と関わったりしてたら、だんだんとそこに違和感を感じるようになってきてんな〜。これって、ほんまに大切なんかな?という疑問。そして、少しずつ少しずつやけど、手放すことが出来てきたように思う。
少しずつ人に自分の意見を押し付けたり、結果を求めたりせえへんようになったと思う。(自分で思ってるだけかもやけど・・・。)これって、結構身近な人にこそ、やりがちやもんなぁ〜。家族とか、仕事で立場が下の人とか。
振り返ると、自分の意見に執着して、うまいこと行かへんかったのが、多かったように思う。
自分は経営者やから、会社のことにもえらい執着してた。
売上、利益、優れた経営計画、良い会社にするための仕組みづくりなど。社内の細部まで氣になって情報を集めるようにしたり、昨年売上や目標売上と実績を分析したり。でも、だんだんとそれらを氣にしなくなり、手放した。なので、口にもしないし、思ったり考えたりすることもほとんどなくなった。
以前は「もっともっと、去年よりも今年!今年よりも来年!」と求めてた。
そして、それを守ること、維持することに必死やったように思う。これから手に入れるもの、そして手に入れたものに執着してた。だから、何か追い立てられてたというか、自分でそういう状況を作ってたんやと思う。
自分を何者かに仕立てあげようとしてたし、そう演じるのが普通になってたんかなぁ〜。そんな氣がする。
でも、意識的にでも手放したら、ムチャ心地いい。いつか無くなるやろうし、最初は無かったモンやし、人は意見が違うし、世は移り変わるし、と今あるものやこれから得るかも知れんものに執着しない意識。
これが大事なんとちゃうかな?この意識があると、心穏やかになる。自然な感じ。
そして、何でかわからへんけど、全てがうまく行く。と言うか、自然に流れる感じ。だから、全てうまく行ってる。
先日、コーチングを受けてる時に話の流れで、「判断基準は?」と聞かれて、口から出てきた言葉は、「その時の氣分次第ですわ〜」。自分で言っておきながら、この言葉にすごく感動した!
まさに真実で、その時の氣分に従っての判断がすごく心地ええもんやと思う。常に状況は変わるし、環境や自分のコンディションも違う。だから、その時の氣分次第。ごくごく自然で、素晴らしいんとちゃうかな?
今のところ、この「手放す」ことによって得たもんは、かなり大きい!「余裕があるから言えるんやで」とも言われるけど、余裕があるからそうなるのか、こういう考えやから余裕ができたのかも、ようわからへん。
しかし、自分にとっては「手放す」ことによって得られる「豊かさ」は真実。人生でのこの実験をこれからも継続していきたいと思う!!ほんまに多くの周りのみなさんに感謝感謝です。









