
たまたま理論
「たまたま理論」。これって、自分が好きで、そして信じている理論。誰も今まで言ってなかったから、宮平のオリジナルかも。読書をしたり、誰かのお話を聴いていた時に、ふとひらめいたんやと記憶する。自分が大切やと思うことは、自分の脳が大切にしてくれるんかもやね。
この「たまたま理論」、どういうものかと言うと、自分の境遇や立場は「たまたま」ってこと。これは、真実ではなくて、そういう意識が大切ってことかな。学生の時も、社会人の時もいろいろな立場がある。学生の間には、リーダーやキャプテン・代表選手になる人もおるし、目立たない人や補欠の人、なかなか活躍出来ない人もいてる。勉強が出来る人もおるし、出来ない人もいてる。社会人になったら、出世する人や起業する人、社長もいれば、なかなか思い通りにいかなかったり、活躍出来へん人もおる。
とにかくムチャクチャいろんな立場の人がいてる。そして、その立場を誇りに思ってる人もおるし、悔しく悲しく思ってる人もいてる。でもこれって、「たまたま」ちゃうんかな?っていう理論。
現状の立場に至るまで相当な努力をしてる人もおるし、人一倍頑張ってきた人もいてると思う。それなりにやってきた人も、振り返ったらあんまり頑張ってなかったなぁと思う人もおると思う。けど、それって「たまたま」とちゃう?っていう理論ですねん。
一所懸命に努力してる人に怒られそうやけど、そう言う考えってあるよな~って感じで聞いてくれたら嬉しい。「今」に至るまでのいろんな状況、環境や人間関係、周りからの支援や不遇から「今」の自分に至ってるんちゃうかなと思ったりするねんね。自分の選択が「今」の自分を創り上げてるのが事実としてあるけど、それって、そこに至るたくさんの原因や外部環境、そこに関わったいろんな人や出来事があって自分が「たまたま」選択したことの積み重ねなんやろうなぁ~と思うねんね。
必然とも偶然とも言えるけど、自分一人で創り上げたもんじゃない感じがするねんなぁ~。自分で選んできた、切り開いてきたと思ってるけど、「たまたま」とちゃう?って感じ。世間と比較して良いと感じる人も、そうでない人も「たまたま」ちゃう?だって、良いと感じる人は、そうでない人との比較でそう感じるから、その人らがいてなかったら、そう感じられへんもんね。いろんな人に怒られたり、反対意見を言われそうな考えやけど、ほんまに「たまたま」って感じるねんなぁ~。
だから、そこで大事なんが、その「たまたま」につけあがったり、卑屈になったりせえへんこと。いろんな境遇やたくさんの人のおかげで「たまたま」なった「今」の立場に甘んじて、奢ったり自慢したりすることって、何か格好悪い氣がする。そして、ひがんだり卑屈になることも何かちゃう氣がする。
「たまたま」人より良いと言われる立場に至った人は、その立場を自慢するのじゃなくて、その立場に感謝しつつ、そこで得れる資源、知識やモノ・心をみんなと共有するんがええんとちゃうかなと感じるねん。野菜や魚がたくさん獲れた時に周りに人に分けるように、知識やお金も共有することって、ええんとちゃうんかなと思う。だって、「たまたま」そう言う立場になっただけやから。
この「たまたま理論」が正しいかどうかはわからへんし、いろんな人の意見があるから、どれが正しいとも言われへんやろうけど、そう言う考えを持って、生きていきたいなぁ~と思ってます。そしたら、何かええ世の中に近づいていきそうな氣がするねん。みなさんはいかがでしょうか?