感謝して食事をする
先日友人と淡路島で結構有名な回転寿司に行きました。お腹もすいてたし、美味しそうなネタが多かったので、どんどん注文してどんどん食べてたんですね。
その時にその友人から言われたのが、
「宮ちゃん、がむしゃらに食べてるなぁ。生き急いでるみたいやな~。箸をおいて、じっくり味わって食べたら?」
この友人は研修講師もしてて、以前に沖縄の離島「久高島」での彼の主催する研修に参加したことがある。
その研修は自然の中で自分の本当の使命を思い出したり、参加者との対話の中で自分とはどんな存在なのかを感じるものである。2泊3日ほどの研修で、その期間の食事時の約束事が、
「誰とも話をせず、食べ物をじっくりと味わうこと。お箸を置いて、ゆっくり食べること」
寿司をばくばく食べてる最中の彼の言葉で、その時の食事の経験を思い出し、何だか恥ずかしい思いになった。がむしゃらに食べてる自分の姿も恥ずかしいけど、学んだことをすっかり忘れて全く実践出来てない自分にもっと恥ずかしい思いがした。
あの時は、「こうやって味わって食事を作ってくれた方、育ててくれた方、その環境など、いろいろなことに感謝するのってほんまに大切やなぁ」と感じて、出来るだけ今後も継続しようと思ったにも関わらず、跡形もなく忘れてた。ほんまに反省しました。
また同じタイミングで、「すごく勉強になるなぁ」と思いながら読んでた本の中でも、よく噛むことの大切さ、そしてその食べ物が自分の体の一部になっていくことを感じながら、それに感謝することの大切さが書かれてました!学ばせてもらってるな~と感じ、実践することにしました。
最近やってること。一人で食事をする時は、ご飯を用意して、手を合わせて「あめつちの恵みと人々の働きに感謝して、命のもとを謹んでいただきます。」、「たなつもの ももの木草も天照らす 日の大神の めぐみ得てこそ、いただきます。」となるべく声に出して言い、テレビやネット、音楽もスマホも無しで、じっくり味わって食べてます。
一口一口、なるべく箸を置いて、食べ物がいただけること、たくさんの人がこの食べ物に関わってくれたことに感謝し、またこの一口一口のものが自分の体になっていくことなんかに思いを巡らして、ゆっくり噛んで食します。
食べ終わると、「朝宵に もの食うごとに 豊受の 神の恵みを 思え世の人、ごちそうさまでした。」となるべく声に出して言います。もちろん、家族や他の人と一緒の時は、食事と会話を楽しんで時を過ごします。ただ、食前・食後のあいさつは忘れず、そしてよく噛んでじっくり味わうことは心がけてます。
「いただきます」の意味
「いただきます」の本来の意味は、食べ物そのもの(動物や植物)から『命をいだだく』ことなのです。
食事の前に唱えることで『命』を戴くだけの資格があるのか、自らをいましめる意味が含まれています。
もちろん愛情込めて料理してくれた人達への気持ちだけでなくい、
食材の生産や輸送にかかわってくれたすべての人達に対してへの感謝の心も意味します。
「ごちそうさま」の意味
「ごちそうさま」の「ちそう(馳走)」の本来の意味は、お客さんのために命がげで四里四方を走り回り食材を集めてきて目の前の料理が出されていることです。
つまり、食材を作る人、運ぶ人、料理を作る人といった多くの人々への心掛けや知恵・労力に対して注がれた『作り手の真心に対するねぎらい』の意味も含めた言葉で、相手を思いやる気持ちを忘れないようにといったことです。
食前の感謝のうた
たなつもの 百の木草も 天照す 日の大神の 恵えてこそ
(たなつもの もものきぐさも あまてらす ひのおおかみの めぐみえてこそ)
本居宣長(江戸前期の国学者)
食後の感謝のうた
朝宵に もの食うごとに 豊受けの 神の恵みを 思え世の人
(あさよいに ものくうごとに とようけの かみのめぐみを おもえよのひと)
本居宣長(江戸前期の国学者)
出典:はし和文化研究会
出来てなかったことを指摘してもらい、日々口にする食べ物を味わい、感謝することの大切さを改めて思い出させていただき、ほんまに有難いです。感謝感謝です。
今後も少しずつマシな人間に近づくよう、実践していきます!!